県史跡
恵下山・山手遺跡群(えげやま・やまていせきぐん)
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名称 恵下山・山手遺跡群(えげやま・やまていせきぐん)
指定年月日 昭和49年4月25日
所在地 安佐北区落合三丁目、真亀三丁目

 「高陽ニュ−タウン」建設中に発見された遺跡群で、恵下山遺跡、恵下山城跡、山手遺跡の三つに分けられます。

@恵下山遺跡
 弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての集落跡と、古墳時代後期の古墳から成り立っています。尾根上にある住居跡は、直径6m前後の円形で、2〜3戸ずつまとまっています。また、古墳は、横穴式石室を持つ円墳で、石室内からは須恵器、鉄刀、馬具などが出土しました。

A恵下山城跡(詳細はクリックしてください)
 この城は、規模は小さかったようですが、西を流れる太田川や南側の谷を天然の外堀としてうまく活かしており、本丸、二の丸を始め、外郭を含む七つの郭で構成される典型的な中世の山城です。また本丸周辺からは、国産の食器類の他、中国製、朝鮮製の磁器や、硯、砥石などが出土しており、生活の様子をしのばせます。この城は、鎌倉時代末期から室町時代後期のものと言われますが、城主は明らかではありません。『陰徳太平記(いんとくたいへいき)』には、対岸の八木城主香川氏としばしば抗争していたと記されています。

B山手遺跡
 弥生時代後期の集落跡と古墳時代の土壙墓(どこうぼ)から成っています。住居は一片が4〜6mの隅丸方形で、4〜6本の柱を使用したものです。この集落跡は、谷一つ隔てて北側にある恵下山遺跡と同時期のものです。


「広島市の文化財」広島市教育委員会編より。
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