市指定重要無形文化財
西原上十二神祗神楽(にしはらかみじゅうにじんぎかぐら)
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名称 西原上十二神祗神楽(にしはらかみじゅうにじんぎかぐら)
指定年月日 昭和49年8月12日
所在地 安佐南区西原六丁目13-7
西原上十二神祗神楽保存会

 安佐南区の西原地区は、太田川と古川、旧安川の三本の川が運ぶ土砂が堆積してできた土地です。そのため土地が低く、人々は度々の洪水に苦しめられていました。ことに安永7年(1778)、天明3年から5年(1783〜1785)には洪水が続いただけではなく、飢饉、疫病の発生などにも見舞われ、西原村は大きな打撃を受けました。そこで村人達は、その対策を日夜協議した結果、悪疫を払い、五穀豊穣を祈るために、冬木神社に神楽を奉納することにしました。これが西原上十二神祗神楽の起こりと伝えられています。
 この神楽は、備中神楽、出雲神楽の流れをくむものとされています。演目は今までにかなり入れ替わりがあったようですが、現在では「煤掃(すすは)き」「神降(かみおろ)し」「荒平(あらひら)」など十二演目が行われています。身のこなしが素朴で荘重なところに特徴があり、これは沼田町の阿刀神楽が華やかで動きが激しいのと対照的です。また、神迎えに子供をつかうなど、古風をよく残している神楽と言われます。
 ところで、昔から神楽を演ずるのは「舞子連中」と呼ばれた若者たちでした。しかし戦後は青年組織が衰え、神楽も消滅の危機にひんしました。昭和34年に氏子の有志の神楽保存会が結成され、今では保存会の人々によって演じられています。冬木神社境内での神楽奉納は、隔年10月第3日曜日前夜に行なわれていますが、今なお昔ながらの神楽が受け継がれているのは貴重なことです。

■豆知識■

神楽
 神楽は、古くから宮廷で行なわれてきた御神楽と、民間で行なわれる里神楽の二つに分けられます。沼田町の阿刀神楽や西原の十二神祇神楽は里神楽に入り、中国地方一帯に伝承される出雲神楽の流れをくむものといえます。このような里神楽は、神社の境内に舞殿をしつらえ、神への祈りや感謝を込めて奉納されるのが普通で、娯楽の少なかった時代には、全村あげて楽しむ大きな年中行事のひとつでした。舞の合間には「吹き火」などの花火のわざを競いながら、燃え上がるかがり火のもと、夜通し舞い明かすのが常でした。観覧する人々も、それぞれごちそうや酒肴を持ち寄り、夜を徹して楽しんだと言います。

「広島市の文化財」広島市教育委員会編より。
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