県史跡
西願寺山墳墓群(さいがんじやまふんぼぐん)
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昭和47年、発掘調査当時の様子
名称 西願寺山墳墓群
(さいがんじやまふんぼぐん)
指定年月日 昭和49年4月25日
所在地 安佐北区口田二丁目

 西願寺山墳墓群は、太田川東岸の二ヶ城山から西に向かって延びる丘陵尾根上にあります。昭和47〜48年に、宅地開発に先立って調査され、5か所にわたる遺跡の存在が確認されました。
 保存されている2か所の遺跡は、丘陵の尾根を削って造った平らな面の前後を、溝で区切った墓地でした。その中からは多くの土壙墓(どこうぼ)、竪穴式石室などが見つかりました。地中に穴を掘って遺体を埋葬した土壙墓は、すべて手足を伸ばして葬る伸展葬で、素掘りのものがほとんどです。なかには壁に沿って石を並べたものもありますが、これは石の内側に木棺を置いていたことを示すものでしょう。また、河原石を積み上げ、造られた竪穴式石室には天井石がなく、初めから何もなかったか、木蓋を用いていたのでしょう。
 これらの墳墓の上には盛り土がほとんどありませんが、握りこぶし大の河原石が敷かれ、石の間から死者に献じられたと思われる土器や鉄斧が出土しています。また丘陵の先端にある墳墓では、石室の中から、のみ、斧、剣、小刀、鎌などの鉄製品が特にたくさん出土しています。その中の鉄斧は、大陸から渡来したと考えられる鋳造品で、当時としては大変珍しいものです。
 こうしてみると、これらの遺跡は、弥生時代から古墳時代の初めにかけて営まれた共同墓地と考えられますが、その中にも特定の個人を厚く葬る墓が出現しているようです。これは、階級や身分が発生して、次第に権力者が現れてきたと言われるその頃の社会を知るうえで、重要な手掛かりとなっています。


「広島市の文化財」広島市教育委員会編より。
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