幾志山城跡(きしやまじょうあと)
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▲全景


▲階段状遺構
なまえ 幾志山城跡(きしやまじょうあと)
時代は? 室町時代(約600年前)
どんな遺跡? 山城
幾志山城跡は太田川の東岸近くの丘の上に築かれた、中世の山城跡です。丘の周囲がかなり削られていて不明な点もありますが、調査では西から東にかけて3段に下がるなどの遺構を確認しました。この城は主に周辺の見張りのためのものだったと考えられます。また、城主は太田川の水運と関係のあった武士と考えられます。
主な遺構 3か所、掘立柱建物跡、溝、土坑、柵跡、階段状遺構、基壇、火葬墓
主な遺物 白磁、青磁、備前焼、瀬戸焼、亀山焼、土師質土器須恵器管玉、碁石、鉄器、銭貨
【場所】
 

山城ってなあに?(歴史の扉第9号)
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