国重城跡(くにしげじょうあと))
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▲安川に突き出た丘の上の国重城全景


▲城の背後を断ち切って造る堀切
なまえ 国重城跡(くにしげじょうあと)
時代は? 弥生時代、室町時代(今から約1700〜1800年前、500年前)
どんな遺跡? 集落跡、中世山城
 国重城跡は安川に突き出た低い丘陵の上にあります。弥生時代のムラの跡と室町時代の山城跡です。この城を造った国重氏は武田山の北側の安川一帯を支配していたようです。この山城を国重氏が造ったという記録が江戸時代の書物に残っており、国重氏は日常的にこの城で生活したのではないかと考えられます。なお、国重氏は武田氏に仕えた後、毛利氏に仕え、やがて毛利氏の萩転封に伴って山口へ移住し、この城は使われなくなりました。その後この遺跡は、畑として耕されていたようで、建物跡など、当時の生活の様子がわかるものは見つかっていません。
主な遺構 堀切、縦堀、竪穴住居跡2軒
主な遺物 備前焼甕 弥生式土器
【場所】

山城ってなあに?(歴史の扉第9号)
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