永町山城跡(ながまちやまじょうあと)
前のページにもどる_▲
▲現在の永町山城跡(丸い小山)



堀切のようす
なまえ 永町山城跡(ながまちやまじょうあと)
時代は? 鎌倉時代後期〜室町時代(今から約700年前〜500年前)
どんな遺跡? 山城跡
 永町山城跡は、温品川沿いのお碗を伏せたような形の小山全体を利用して築かれています。築いたのは、この地域をおさめていた金子氏とされています。永町山城跡は、城とはいっても、城兵がたてこもるための平らな地面や、敵の侵入を防ぐための堀などの防衛施設が十分そなわっていません。このことから、この城は戦いのためではなく、地域をおさめる中心となる館として築かれたのではないかと考えられています。
なお、永町山城跡のすぐ東側の尾根の上には北谷山城跡があります。この城の防備はしっかり整っているので、永町山城の後ろの守りを固める役割を果たしていたのでしょう。
主な遺構 3か所、竪堀3か所、堀切1か所
主な遺物 陶磁器、土師質土器
【場所】

山城ってなあに?(歴史の扉第9号)
この遺跡について質問したい人はこちらへメールで質問する
この遺跡について詳しく知りたい人はこちらへ

前のページにもどる)(広島市全域へ戻る) 

公益財団法人広島市文化財団文化科学部文化財課 tel/082-568-6511 fax/082-568-6513
Copyright(C)2005- Hiroshima City Culture Foundation. All rights reserved.