長う子遺跡(ながうねいせき)
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土器棺墓
▲市内で見つかった弥生時代の鉄製釣針
なまえ 長う子遺跡(ながうねいせき)
時代は? 弥生時代後期、室町時代(今から約1900年前、約500年前)
どんな遺跡? 集落跡、中世の建物跡
 長う子遺跡は、武田山から東へのびる尾根の上、標高120〜130mの広島平野を見下ろす高い所にあります。弥生時代のムラの跡から見つかった遺物には、分銅形土製品、磨製石剣、銅鏃、ガラス小玉など、マツリやまじない用の道具と思われるものが目立ちます。
また、中世の建物跡は16世紀初め頃のもので、武田山頂一帯にある銀山城の城主である安芸武田氏によって建てられたと考えられます。
主な遺構 竪穴住居跡6軒、掘立柱建物跡7棟、土坑8基、土器棺墓1基、溝状遺構2基
主な遺物 弥生土器、分銅形土製品、磨製石剣、石製品(太形蛤刃石斧、砥石)鉄器(鏃、?、釣針)、銅鏃、ガラス小玉、瓦、土師質土器、備前焼
【場所】

弥生時代の釣り(歴史の扉3号)
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