梨ヶ谷遺跡(なしがたにいせき) 遺物は広島市指定重要有形文化財
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▲第1号墓


▲第2号墓a主体
なまえ 梨ヶ谷遺跡(なしがたにいせき)
時代は? 弥生時代後期(今から約1700〜1900年前)
どんな遺跡? 集落跡、墳丘墓
 梨ヶ谷遺跡は、太田川東岸の丘陵の上にあり、弥生時代の集落跡と墓地からなります。標高70mほどのところにある墳丘墓では、太田川の川原石などを用いた、広島でも最古級の竪穴式石室が4基見つかりました。これらは、弥生?古墳時代にかけての広島の様子を知る上で大変重要なものです。同様な石室をもつ、付近の西願寺山北遺跡、西願寺山墳墓群、弘住遺跡との関わりも注目されます。なお、そのうちの1基からは、熟年女性の人骨が1体見つかっています。
主な遺構 竪穴住居跡14軒、掘立柱建物跡1棟、土坑14基、墳丘墓3基、土壙墓17基
主な遺物 弥生土器 石製品(鏃、砥石、紡錘車)、土製品(勾玉、土玉、紡錘車)、鉄製品(剣、斧、鏃、鎌、?、鏨、鑿)、銅鏃
【場所】

火事にあった住居(歴史の扉2号)
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