大谷遺跡(おおたにいせき)
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▲第3号古墳の箱式石棺


▲第1号住居跡と大谷古墓(中央のくぼみ)
なまえ 大谷遺跡(おおたにいせき)
時代は? 弥生時代後期、奈良時代(今から約1800年前、約1300年前)
どんな遺跡? 集落跡、古墳
 大谷遺跡は、太田川の西にそびえる武田山から東へのびる尾根の上にあり、弥生時代の集落跡、芳ヵ谷第2・3号古墳、大谷古墓からなります。竪穴住居のうち2軒は、火事にあっていました。2基の古墳は5世紀代のもので、そこに計3基の箱式石棺があり、中でも第3号古墳の中央の石棺は、内側に朱が塗られ、熟年女性の骨が1体見つかりました。
 大谷古墓は木棺を埋めたお墓で、8世紀頃のものです。
主な遺構 竪穴住居跡7軒、掘立柱建物跡1棟、テラス状遺構1か所、古墳2基、古墓1基
主な遺物 弥生土器、土製勾玉、石器(鏃・砥石)、鉄器(鏃、斧、鍬先)、
須恵器
【場所】

火事にあった住居(歴史の扉2号)
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