金ノ口(かねのくち)城跡
前のページにもどる_▲


【略測図】

「広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集』1993より転載

なまえ 金ノ口(かねのくち)城跡
所在地 安佐北区安佐町鈴張
時代は? 中世
どんな遺跡? 山城
 城跡東側は中国自動車道によって消滅しているが、西半分が残存しています。
 残存部は頂部に二つの郭を配し、北側に2本、南側に1本の竪堀があり、尾根線に沿って東西郭端から土塁が築かれています。
 本城跡はもともと尾根上に五つの郭を階段状に配していたものと考えられ、比較的傾斜の緩やかな南側斜面を意識して、大小5〜7本の竪堀を設けていたものと思われます。しかし、城郭全体としては大規模なものと言えず、見張台として機能したと思われます。

「広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集』1993より転載
 
山城ってなあに?(歴史の扉第9号)
 

※当サイトの文章・画像等の無断転用を禁じます。
前のページにもどる)(広島市全域へ戻る

財団法人広島市文化財団文化科学部文化財課 tel/082-568-6511 fax/082-568-6513
Copyright(C)2005 Hiroshima City Culture Foundation. All rights reserved.