己斐新(こいしん)城跡
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手前の丘陵全山

【略測図】
「広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集』1993より転載

なまえ 己斐新(こいしん)城跡
(平原城跡、茶臼山城跡、小茶臼山城跡)
所在地 広島市西区己斐町
時代は? 中世
どんな遺跡? 山城
 最高所の主郭部分は、北側に土塁をもつ郭と、浅い堀切を挟んで西にある郭によって構成されており、さらに北、東、南西、南〜東の各支尾根に郭を配しています。これらの郭は相互に連絡しており、主郭部分を囲い込むようになっています。
 堀切は東へ延びる尾根に3条設けられています。また、西へ延びる尾根には幅の狭い平坦面と竪堀が見られますが、これは堀切になるものと思われます。城主は己斐氏と伝えられています。

「広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集』1993より転載
 
山城ってなあに?(歴史の扉第9号)
 

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