新宮(しんぐう)城跡
前のページにもどる_▲
【略測図】
「広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集』1993より転載
なまえ
新宮(しんぐう)城跡
所在地
広島市安佐北区可部町下町屋
時代は?
中世
どんな遺跡?
山城
本城跡の下で根ノ谷川と桐原川が合流しています。この地点は三入新庄への入口に当たります。
遺構は、最高所の1郭とその南の三入神社境内の郭が残るのみで、城郭の全体構造を把握することは困難です。
三入神社は、熊谷氏が甲斐国から勧請し、社領を寄進されるなどその保護を受けたといわれます。『群中国郡誌』によれば、末田氏が元亀年間(1570〜1572)から社職を務めていたとあり、1572(元亀3)年には熊谷高直が鋳鐘を寄進しており、この頃から末田氏が新宮城を支配していたと考えられます。
「広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集』1993より転載
山城ってなあに?(歴史の扉第9号)
※当サイトの文章・画像等の無断転用を禁じます。
(
前のページにもどる
)(
広島市全域へ戻る
)
財団法人広島市文化財団文化科学部文化財課 tel/082-568-6511 fax/082-568-6513
Copyright(C)2005 Hiroshima City Culture Foundation. All rights reserved.