県史跡 高松山(たかまつやま)城跡
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なまえ 県史跡 高松山(たかまつやま)城跡(愛宕城跡、熊谷城跡、高松城跡、高松古城跡)
所在地 広島市安佐北区可部町下町屋
時代は? 中世
どんな遺跡? 山城
  本城跡は西と南は根ノ谷川が流れ、北には桐原川が流れており、これらを天然の堀として利用しています。本城跡の東には、桐原と上原を結ぶ街道が南北に走っており、白木山山系と高松山を分断しています。
 遺構は、東西に主軸線を置き、南に派生する尾根を加えてT字型に郭を配する構造をもっています。四つの郭群に分かれ、大小22の郭によって構成されています。山頂郭群には、最高所の1郭を中心にして四方に延びる尾根上に郭があります。郭の北と西には一つずつ腰郭があり、東には長方形の大きな郭があります。この一帯には石が散乱しており、石垣が築かれていたようです。さらに堀切状の郭を挟んだピークも郭とし、そこから北東に延びる尾根上に三つの郭が階段状に並んでいます。麓の土居屋敷跡へ続く道を押える遺構であると思われます。山頂部の南下の腰郭には石組井戸があります。その南には尾根上に七つの郭があり、これが南郭群です。南端部は石垣を備えた馬蹄形の帯郭となっており、その南下には尾根続きを遮断する堀切があります。ほかに高松神社のある西郭群と井戸をもつ東郭群があります。
 城主は熊谷氏です。

「広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集』1993より転載
【略測図】

「広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集』1993より転載
 
山城ってなあに?(歴史の扉第9号)
 

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