牛頭山(うしずやま)城跡
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なまえ 牛頭山(うしずやま)城跡
所在地 安佐北区安佐町小河内
時代は? 中世
どんな遺跡? 山城
 本城跡は、太田川北岸の牛頭山(標高672m)から西に延びる主尾根上の山頂に位置し、標高681m、比高370mを測ります。
 郭は1郭の北西に三つ、東に五つ、さらに土橋を隔てて七つを階段状に設けています。本城跡は、市内中最高所にある山城跡で、豊平、鈴張、久地あたりまで見渡せる要害堅固な山城です。
 本城跡については『芸藩通志』に「大永年間、武田刑部が弟、小河内弥太郎これに居る。天文年間、亡といふ。」と記されています。大永年間(1521〜1527)といえば、1524(大永4)年、大内義隆が銀山城を囲んだ時期に当たり、武田氏が居城銀山城の背後の守備のため一族を牛頭山城に配置したと考えられます。1541(天文10)年に銀山城が落城しており、同時期にこの牛頭山城も落城したと考えられます。
 武田刑部については、沼田町伴の伴藩主として記されていることから伴氏一族と考えられます。

「広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集』1993より転載
【略測図】

「広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集』1993より転載
 
山城ってなあに?(歴史の扉第9号)
 

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