県史跡 矢野(やの)城跡
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なまえ 県史跡 矢野(やの)城跡
(保木城跡、保喜城跡、発喜城跡)
所在地 広島市安芸区矢野町
時代は? 中世
どんな遺跡? 山城
 本城跡は、広島湾東岸にそびえる絵下山(標高568m)山頂から北へ延びる丘陵尾根上に位置しています。
 城跡の構成は、全体を三群に分けることができ、最高所から先端にかけてA郭群、B郭群、C郭群と呼称することとします。なお、C郭群のみ県史跡として指定されています。
 A郭群は、発喜山山頂(標高466m)周辺に位置し、四つの郭から成っています。背後は絵下山から下ってくる尾根を堀切で分断しています。B郭群は、A郭群から約250m下った尾根上に位置し、最高所には野間神社が建立されています。七つの郭から成り、背後はA郭群から下ってくる尾根を堀切で分断しています。尾根上から東斜面を約20m下った地点の小郭には自然石を利用した門跡とみられる遺構があります。C郭群は、B郭群から約200m下った尾根上に位置しています。五つの郭から成り、B郭群から下ってくる尾根を堀切で分断しています。なお、A郭群上方には絵下山がそびえ、山頂には現在テレビ塔が建てられているが、この部分にも郭があった可能性が考えられます。
 南北朝時代に熊谷蓮覚が築城したと伝えられます。その後、1445(文安2)年野間氏がこの地に入部し、矢野城に拠ったといいます。

「広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集』1993より転載
【略測図】

A・B郭郡


C郭郡

「広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集』1993より転載

 
山城ってなあに?(歴史の扉第9号)
 

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