食―米をつくる

 広島市内では、弥生時代の水田の跡は見つかっていません。しかし、お米や、稲の穂をつみ取っていた石庖丁などの道具が発見されていることから、米づくりが行なわれていたことは間違いありません。では、水田はどこにあったのでしょう。山がちで平野の少ない地形に加え、大型河川が氾濫(はんらん)を繰り返すため、山沿いの谷間に小さな水田をつくり稲を育てていたと考えられています。

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