■解説 〜須恵器(すえき)出現〜

 5世紀以降に造られた古墳からは、それまでにはない硬質で灰色の土器が出土するようになります。この土器を須恵器といいます。
 須恵器の製作技術は、朝鮮半島から渡ってきた技術者が伝えました。大阪府南部(現在の大阪府堺市・和泉市など)には、伝わった頃の須恵器が出土する多くの窯跡が見つかっており、『日本書紀』に記述のある「茅渟県(ちぬのあがた:大阪南部の古称)陶邑(すえむら)」のあった場所とされています。初期の須恵器は陶邑などで作られ、当時の日本の中央政権である畿内政権によって流通が管理されていたと考えられています。
 ひろしまでも、池の内第2号古墳(安佐南区長束西)や空長(そらなが)第1号古墳(安佐南区山本)などから、陶邑で作られたと考えられる須恵器が出土しており、古墳の被葬者たちと畿内政権との間につながりがあったと考えられています。これらの古墳のある広島湾に近い当時の太田川流域は、平野もそれほど広くないため農業生産力が高いとは考えにくい場所で、港湾などを含めた瀬戸内海の海上交通における畿内との結びつきが想定されています。

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