■解説 〜巨大古墳のゆくえ〜

 大仙古墳の造られた5世紀の半ば以降、巨大な前方後円墳は畿内でだけ造り続けられ、その他の地方では急速に小型化していきます。これは、それまである程度の独自性を保っていた各地の首長が、畿内政権の強い統制を受けるようになったことを表していると考えられています。
 広島でも三ツ城第1号古墳以降、前方後円墳が見られなくなっていきます。

×閉じる