■解説 〜消えゆく古墳〜

 593年、推古天皇(すいこてんのう)の摂政になった聖徳太子(しょうとくたいし)によって、中国の制度を手本とした天皇中心の国家体制が徐々に整え始められます。この動きは646年※、中大兄皇子(なかのおおえのおおじ)らによって断行された大化の改新によって、さらに急速に押し進められていきます。その一貫として発布されたのが、「薄葬令(はくそうれい)」です。これにより古墳の築造は規制され、次第に築造されなくなります。古墳の築造は、その誕生から消滅まで、国づくりの様子を語ってくれるのです。

 ※大化2年(646年)の改新の詔をもって大化の改新が行われたという説。蘇我蝦夷・入鹿親子が暗殺された大化元年(645年)とする説もあります。

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