■解説 〜安芸国と古代山陽道〜

 平安時代の前期に施行された延喜式によると、古代の街道は大路・中路・小路に区分されていました。その中で古代山陽道は都と大陸との交流の窓口であった大宰府を結んだ律令国家最大の幹線道のため、唯一の大路とされました。各国の国府と都は幅6〜10数mの直線的な道路で結ばれ、人馬を常備した駅家が30里(約16km)毎に配置されたほか、国府と郡衙を結ぶ交通路も整備されました。
 安芸国には古代山陽道が東西に貫き、各地に駅家が配置されました。古代山陽道は現在の広島三角州(デルタ)の北側を大きく迂回するルートを取っていたと考えられますが、これは古代の広島湾の海岸線が現在よりもかなり北に入り込んでいたことを反映しています。

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