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■三入の町並み

 現在の安佐北区三入(みいり)は『倭名類聚抄』に記載のある「弥理郷(みりごう)」に比定されています。平安末期には石清水八幡宮領「三入保」として、その後、新熊野社領「三入庄」となり、荘園として存続していきます。

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