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■三ツ城跡(みつじょうあと)(安芸区瀬野)

 旧山陽道と瀬野川、榎ノ山川とその谷筋の東広島市志和に抜ける道を見下ろせる丘陵上に位置し、最高所の標高が約286mの山城跡です。郭6か所や畝状竪堀群、堀切、狼煙の火を使ったと考えられる土坑などが見つかりました。また少ないながら土師質土器や輸入磁器、すり鉢、甕、石鍋などの生活道具も見つかっており、小人数が駐留していたと考えられます。こうした状況から、この城は瀬野地域の国人領主阿曽沼氏によって、15世紀前半に、志和地域の国人領主天野氏との境目の防備と異変時の連絡の目的で築かれたと想定されています。その後16世紀前半に尼子氏の安芸侵攻などの情勢を契機に改修が進められ、阿曽沼氏が毛利氏に家臣化した16世紀中頃まで使用されたと考えられます。

■三ツ城跡第1郭及び畝状竪堀群(西から)

 

■第1郭 狼煙土坑(西から)

 

■第1郭第2郭間堀切(北から)

 

■三ツ城跡遺構配置図

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