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■吉川興経居館跡(安佐北区上深川町) 

 大朝新庄(現 山県郡北広島町)を本拠地とする吉川氏の当主であった興経(おきつね)は、大内側・尼子側に鞍替えを繰り返す行動によって、家臣団から不信感を抱かれるようになりました。天文16年(1547)に経世(つねよ)ら重臣は興経を隠居させ、元就は次男元春を吉川家の養子とすることに成功しました。その後、興経は布川(現 安佐北区上深川町)へ幽閉され、天文19年(1550)に元就は興経が幽閉されていた居館を襲撃させ、興経とその子千法師(せんほうし)を殺害しました。興経の遺骨はそのままこの地に葬られ、墓所となっています。

 ※布川は原文に拠っています。

吉川興経居館跡

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