×閉じる

■毛利輝元肖像(毛利博物館蔵)
 絹本著色 江戸時代中期

 天文22年(1553)、毛利元就の跡を継いだ毛利隆元の嫡男として吉田郡山城(現安芸高田市)に生まれました。吉川・小早川両氏とともにいわゆる毛利両川体制を築いて権力の強化を図りながら勢力の拡大に努め、織田信長や羽柴秀吉と激しく争いました。秀吉との講和後は拠点を郡山城から広島城へと移し、112万石の領国の経営にあたりました。豊臣政権下では五大老の一人として重用されましたが、慶長5年(1600)の関ケ原の戦いに敗れると、所領を周防・長門両国(現山口県)29万8千石に大幅に減らされ、自らが築いた広島城を退去させられることになりました。

保存・転載禁止 武田元信感状

×閉じる