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■平塚瀧俊(ひらつかたきとし)書状(名護屋陣ヨリ書翰、東京大学史料編纂所蔵(謄写本))

 天正20年(1592)、豊臣秀吉によって朝鮮出兵に動員された佐竹義宣(さたけよしのぶ)の家臣が、肥前(現佐賀県)名護屋に向かう途中、広島に立ち寄ったときのことが記されています。当時の広島について、「更にさらに見事」である地とし、「城中のふしん(普請)などハしゅらく(聚楽=聚楽第)にもおとらざる」と感心しています。注目すべきは、「天しゅ」も見事なものとして記載されていることで、平塚瀧俊が訪れたこの年4月ごろの段階で、天守が姿を見せていたようです。一方で、「町中ハいまだはんと(半途)」ともしており、城下の整備は途上にあったことがうかがえます。

保存・転載禁止 平塚瀧俊書状

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