■解説 〜福島正則の入部と領国の支配体制〜

 毛利輝元に替わり、安芸・備後両国(現在の広島県)を与えられて広島城主となったのが、福島正則です。慶長6年(1601)正月に入城した福島氏は、毛利氏が完全には実現し得なかった近世的な政策を実行していきます。原則、家臣団を城下に住まわせたほか、領内では石高制に基づいて検地を実施し、兵農分離をすすめるなど支配体系の基礎を築き上げていきました。しかし、福島氏も武家諸法度に違反したとして、それをきっかけに改易、わずか20年の支配の後、広島城を明け渡すことになりました。

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