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■福島正則肖像(東京国立博物館蔵)
 紙本淡彩 江戸時代初期

 永禄4年(1561)尾張国海東郡二寺村(現愛知県豊田市)に生まれました。豊臣秀吉の従兄弟と伝えられ、幼少より秀吉に仕え、重臣として数々の武勲をあげてきました。
 秀吉の死後は石田三成との対立から徳川家康と接近し、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでは東軍につき、その勝利に貢献しました。その恩賞として、安芸・備後両国49万8千石を与えられ、毛利輝元に替わり広島城主となりました。
 元和3年(1627)の台風による水害で破壊された城内や石垣を、無断で修繕したとの口実をきっかけとして、同5年、芸備両国を召し上げられ、信濃国川中島(長野県)と越後国魚沼群(新潟県)4万5千石に転封されました。その5年後の寛永元年(1624)に64歳で亡くなりました。

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