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■新開地の痕跡(県病院前電停付近、広島市南区)

 江戸時代になると、遠浅の干潟を堤防で締め切り乾かすという方法(干拓)で新開地が造られ、城下町は南へ広がって行きました。写真は、寛文3年(1663)に藩によって拓かれた仁保島西新開を写したもので、中央のゆるく盛り上がった部分が当時の堤防の名残です。このような堤防の名残は、市内のいたるところに見ることができます。

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