■解説 〜甦れ!広島城!〜

 明治時代になると、広島城も大きく姿を変えていきました。明治6年(1873)には本丸御殿のあった本丸上段に広島鎮台が置かれ、明治10年以降、城内に様々な陸軍の施設が置かれることとなります。土塁や塀、堀なども取り払われ、天守閣も南と東にあった3層の小天守が取り壊され、5層の大天守のみとなってしまいました。内堀内の表御門や櫓、国宝に指定されていた大天守等は、原爆によって倒壊してしまいました。現在の天守は、昭和33年(1958)に鉄筋コンクリートで復元されたものです。
 現在残っている史跡部分を手掛かりに、江戸時代の広島城の姿を訪ねてみましょう。

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