■解説 〜武家屋敷跡の様々な施設〜

 広島城内は、主に上級武士の屋敷地でしたが、国替えや大火事などのたびに大規模な屋敷替えが度々行われています。屋敷替えとは、もともとあった施設を撤去し、その上に土を敷きならして更地化したうえで新しく屋敷を造ることです。そのため、毛利氏が築城した当時から幕末のころまで、約1m地面が高くなっているのです。発掘調査は、屋敷替えのたびに積み重ねられた土を一面ずつ剥ぎ取り、その時代に造られた施設の痕跡を一つずつ掘り出してゆく作業なので、最終的にはいろいろな時代のいろいろな施設の痕跡が重なり合って、穴だらけになった地面が出来上がるのです。
 部分的な発掘調査のために、屋敷全体がどのような構造で、どのような施設が配置されていたのかはっきりとは分かっていませんが、確認された施設を紹介することで、当時の人々の生活の一端を垣間見てみましょう。

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