■解説 〜はじめに〜

 福島氏・浅野氏による街道の整備や干拓の推進などにより、広島は経済・文化の中心としての役割を持ち、西国有数の商業都市へと発展を遂げていきます。江戸時代初期の広島城下は職種ごとに居住地域を定められ、革屋町や鉄砲屋町など、一つの職種で一つの職人町を形成していました。しかし、城下の都市生活の目覚ましい発展に伴い、町名に冠した職種以外の職人や商人が居住するようになり、さまざまな職が雑居する都市へと変貌していきます。江戸時代後期には、人口が武士と町人を合わせて約5万人にのぼる大都市となったのです。
  そのような中、武士や庶民たちの間に祭礼などの年中行事をはじめとした娯楽や、茶道などの文化が多く生まれ、幅広く普及していきました。後に原子爆弾による壊滅的な被害を受けた広島ですが、こうした娯楽や文化は現代にも受け継がれているのです。

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