■解説 〜広島藩の学問・文化〜

 江戸時代には社会が安定し、教養・道徳規範として儒教が取り入れられました。広島でも藩や家老の保護のもと、儒教が盛んになり、江戸時代中期には藩士を教育するため、民間の儒学者が登用されました。学問以外にも、武士のたしなみとして和歌や俳諧、書や絵画、茶道などが広まり、これらは武士のみならず庶民にまで普及していきました。
 また、享保5年(1720)に洋書輸入の禁が緩和されると、西洋から実用的な技術・学問が伝わり、医学や軍事などに取り入れられ、大きな発展を遂げました。

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