×閉じる

■福山亥子石図「御問状答書(おといじょうこたえがき) 冬」(写)(国立公文書館蔵)
 冊子装 文政2年(1819)

 亥の子は収穫の終わった土地を鎮め固める行事とされ、旧暦10月の亥の日に行われます。広島城下の地誌をまとめた『知新集』には、亥の子が行われる4、5日前には祭壇に石を飾り、神酒などを供え、様々な面をかぶり奇妙な格好をした子どもたちが昼夜問わず笛を吹き舞い踊るとあります。そして当日、鏡餅を供え、子どもたちが謡いながら亥の子石で地面をつき町内を回ります。亥の子終了後、餅を割り家々に分配し、餅を食します。
 この資料は、備後国福山藩の儒学者、菅茶山が執筆したものです。文化年間(1804~18)末ごろ、幕府の儒学者の屋代弘賢(やしろひろたか)が「諸国風俗問状(しょこくふうぞくといじょう)」と題した小冊子を日本各地に送りました。内容は、「門松の事」、「ひな祭の事」など131項目にわたり、それぞれの地方の年中行事や風習について細かく問われています。この資料は備後国福山藩が提出した回答書です。

保存・転載禁止 御問状答書

 ※転載禁止

×閉じる