■解説 〜広島県の誕生〜

 慶応3年(1867)12月、明治政府の発足時、現在の広島県の県域には、3つの大名領(広島藩・福山藩・豊前中津藩の飛び地)と幕府直轄領がありました。廃藩置県によって、幕府直轄領は、備中・美作の旧幕府領などと合わせて倉敷県となりました。大名領の3藩は、それぞれ広島県・福山県・中津県(のちに小倉県)となりました。
 政府は山陽・山陰の県の統廃合を進め、明治4年(1871)11月に小倉県・倉敷県所管の備後国甲奴郡内の24か村を広島県に統合しました。同時に、福山県と小倉県・倉敷県の備後6郡を備中と統合して、深津県としました。この深津県は、明治5年(1872)に小田県と改称し、明治8年(1875)に岡山県に併合されました。さらに、明治9年(1876)に、備後6郡が岡山県から広島県に移管され、現在の広島県の県域がほぼ確定しました。

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