■解説 〜広島区の成立〜

 中央集権的国民国家体制を確立する手立てとして、明治4年(1871)、政府は戸籍法を制定し、各地でそれぞれ定められていた戸籍作成に関する規則を全国的に統一しました。それによって作成された戸籍が、「壬申戸籍」です。
 戸籍法の制定に伴い、戸籍を管理するために、行政区画として県の下に旧来の7・8ヶ村を新たに編制し直した「区」を設置し、その責任者として各区に戸長と副戸長を配置しました。広島県内は158の区に分けられ、そのうち広島城下は4区に分けられました。
 明治5年(1872)10月には、広島県は国に先立って、旧来の郡・町・村の行政区分を廃して大区小区制へと移行し、県内を17の大区と169の小区に分割しました。
 その後、明治11年(1878)に郡区町村編制法が施行され、県内は広島区と22の郡で構成されました。

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