■解説 〜市制・町村制と広島市の誕生〜

 明治21年(1888)、政府は市制・町村制を定めました。これにより、市町村は地方公共団体としての地位を得、議事機関として市会・町村会が設置され、市長・町村長が置かれました。しかし、市町村の選挙・被選挙権を持つのは直接国税2円以上の納入者に限られるなど少数の有産者が権限を握っていました。また、政府の内務大臣の強い統制下に置かれていたため、自治権は弱いものでした。なお、市には人口2万5000人以上が該当し、市長(市会が推薦,内務大臣が任命,有給)以下参事会が行政を担当し、町村長は無給の名誉職で町村会において選出することとなっていました。
 明治22年(1889)4月1日の市制・町村制施行時に広島区は廃止され、全国31都市のひとつとして広島市が誕生しました。当時の広島市の面積は約27km²、戸数23,824戸、人口83,387人でした。

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