宇品港(うじなこう)


「宇品港桟橋」明治末期~大正前期

発掘の様子

現在の旧軍用桟橋付近(南区宇品海岸)

 広島県令に着任した千田貞暁(せんださだあき)は、広島の発展のため宇品新開を干拓し、宇品島と金輪島の間に港をつくることを決意しました。明治22年(1889)、難工事の末5年余りの歳月をかけて宇品港が完成しました。
 当初はあまり利用されていませんでしたが、明治27年(1894)の日清戦争を契機に軍用港として大きな役割を果たすこととなりました。唱歌「港」には当時の宇品港のにぎわいの様子が歌われています。
 昭和7年(1933)に宇品港は広島港と改称され、戦後は一万トンバースや旅客ターミナルの整備が進められ、貿易港としてまた広島の海の玄関口として発展しました。
 現在、宇品波止場公園の西側にかつての軍用桟橋の一部が残されています。

市内電車:「海岸通」から800m
バス:「御幸松」から850m

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