与楽園(よらくえん)


「広島市水主町与楽園」明治末期~大正前期

発掘の様子

与楽園のあったアステールプラザ一帯(中区加古町)

 与楽園は享和元年(1801)、広島藩7代藩主浅野重晟(あさのしげあきら)により造られた別邸(中屋敷)で、水主町(かこまち)屋敷とも呼ばれていました。文政8年(1825)には建物・庭園に大幅な改修が加えられました。庭園は中央に池を設け小島を配した回遊式で、己斐から松200本が移され、厳島や瀬戸内の島々が眺望できたそうです。
 その後、県立広島病院の付属地となり、一般にも公開されていましたが、中島尋常小学校の建築の際に庭園の規模は縮小され、戦後の復興の中で消滅しました。現在、中島小学校の敷地の北西隅には、当時を偲んだ「与楽園」と呼ばれる庭があります。  

 

市内電車:「市役所前」から650m、「舟入町」から400m
バス:「中島小学校前」から200m

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