広島市の中心部から北東に位置する温品地区は、東西を山に挟まれた谷地形で、そのほぼ中央、温品中学校と安芸高校の間に永町山城跡はあります。まるで緑色のお椀を伏せたようなかわいらしい小山で、温品の谷のいろいろな場所から良く見えます。
この山城を築いたのは、承久の乱(承久3年=1221年)を契機に温品地区の地頭に任ぜられた金子氏だという説が有力です。低い丘陵の先端を利用した作りは、けっして防御しやすい城とはいえません。しかし平時は農耕や土地の開発も行っていた当時の武士にとっては、谷が一望でき、街道筋も川も近いこの城は、土地を治めるとい点でいろいろ都合が良かったのでしょう。
昭和59年(1984)には、道路建設に伴い東側山裾部の発掘調査が行われ、城域を取り巻く堀切の一部が確認されました。また、地形図を見ると、城をドーナツ状に取り囲む区画や小川が見て取れることから、城に関係する地形が残っているのかもしれません。山裾を巡り周囲を見回すだけでも、ひょいっとひげ面でまげを結った男たちに出会えそうな雰囲気満点です。
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