紙屋町で発見!江戸時代の広島城の痕跡

広島城外堀跡(紙屋町・大手町地点)
遺跡の石垣を使ったモニュメント
(中区基町)
      
広島城 広島城
大手門の櫓台をイメージして作られたモニュメント 発掘調査時の写真(右手前が大手門東側の櫓台。左手奥が土橋。)
 紙屋町に遺跡があるのをご存知でしょうか?今は内堀に囲まれた本丸と二の丸のみを残す広島城ですが、江戸時代には内堀と、その外に中堀と外堀の三重の堀に囲まれた約90万㎡もの城域をもつ中国地方最大の巨城でした。中堀と外堀は明治42年(1909)から44年(1911)の間に埋め立てられましたが、平成8年(1996)から9年(1997)にかけて行なわれた地下街紙屋町シャレオの開発に先立つ発掘調査により、南側の外堀の位置が明らかになりました。
 調査が行われたのは紙屋町交差点をはさんで東西約400m。交通量が多いため調査は主に深夜に行なわれました。遺跡からは堀の石垣や、広島城の正面玄関にあたる大手門(一丁目口御門)の櫓台、土橋の石垣などが見つかり、紙屋町から八丁堀にかけての相生通りに広島城の南端である外堀があったことが証明されたのです。
 紙屋町西交差点付近で見つかった大手門の櫓台の石は、現在シャレオ北3出口正面に移築され、壁面を飾っています。

アストラムライン 「県庁前駅」下車、北3出口すぐ


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