もも やま ちゃ とう
桃山茶陶
(広島城県庁前地点出土)
茶陶
 紹介する「志野茶碗」の破片(器高7.2cm)は、広島城跡の発掘調査で出土しました。志野焼は、桃山時代に始まる美濃焼の一作風で、長石釉(白釉(はくゆう))をかけた陶器の総称です。
 出土した場所は武家屋敷地と道路との境界と考えられる溝の跡で、ここで出土した陶磁器を詳細に分析した結果、桃山茶陶といわれる志野・黄瀬戸・織部・楽・唐津の茶碗や向付が含まれていることが分かりました。わずか20点足らずとはいえ、この屋敷に住んでいた武家が茶の湯をたしなんでいたことが想像できます。
茶陶  また、この溝から出土した全286点の陶磁器の中には、いわゆる伊万里が1点も含まれていませんでした。全国の調査例では、伊万里が出土するのは1620年以降とされているので、本遺構の出土遺物は築城当初の30年間のごく限られた時期のものと考えられます。
 千利休・古田織部に茶を学んだ武将茶人上田宗箇(広島藩家老)が、広島藩浅野初代藩主浅野長晟に伴い広島に入ったのは、1619年のことです。発掘された桃山茶陶の数々から、上田宗箇以前にも、広島で桃山文化(茶道)が花開いていたことがうかがえます。

【写真右:桃山茶陶(左上・志野、左下・楽、中央・黄瀬戸、右上・ねずみ志野、右下・織部)】


▲このページのトップへ