やき しお つぼ
焼塩壺
(広島城県庁前地点出土)
焼塩壺
 高さ約10㎝、直径約7㎝、器壁の厚さ約1㎝の分厚く重いコップ形の土器。この土器の正体は、武家の特別な宴席で使用された「焼塩壺」と呼ばれる使い捨ての容器です。出土した場所は江戸時代に武家屋敷があったところで、屋敷地と道路との境界と考えられる溝から、ほぼ完形のもの9点を含む22点が、8点の蓋とともに積み重なるように出土しました。どうやら、まとめて処分されたようです。胴部の刻印や発掘地点の状況などから、福島正則が城主の時代に使用されていたものと考えられます。
焼塩壺  焼塩壺には焼成した焼塩が入っていましたが、その塩の焼成もこの容器で行っていました。壺の中に細かく砕いた粗塩を詰めて蓋をし、壺ごと窯に入れてじっくり焼くと、にがりや水分がとび、まろやかで、さらさらの上質な精製塩ができました。壷が分厚いのは長時間の焼成に耐えるためです。
 焼塩壺の主な生産地は京都や大坂で、壺ごと各地に流通し、武家の特別な宴席で使用されました。当時の宴席の様子が描かれた江戸時代の瓦版を見ると、鯛のお膳に焼塩壺が置かれており、鯛にふりかけて食べていたことが想像されます。食卓塩の元祖ともいえますが、たった一回の使用で処分するとは、なんとも贅沢です。
【写真右:「ミなと藤左エ門」の刻印】


▲このページのトップへ