うえ き ばち
植木鉢
(広島城跡法務総合庁舎地点出土)
植木鉢
 江戸時代前期頃まで、園芸は武家などの身分の高い人々を中心にした屋敷内での庭園作りが中心でした。やがて庶民の間にも花を愛でる文化が広がると、手軽に個人で楽しむことができる鉢植え植物が流行していきました。園芸は一大ブームとなり、桜草や変化朝顔などの様々な園芸植物が作られました。
 遺跡から出土する植木鉢は、大きく2つに分けられます。鉢や甕などの容器の底に穴をあけて植木鉢として使用した転用植木鉢と、最初から植木鉢としての利用を目的に植木鉢生産された専用品の植木鉢です。転用植木鉢は江戸時代中期の18世紀初め頃から現れ、その後18世紀中頃以降になると専用品の植木鉢が普及します。庶民の園芸への関心が高まり、転用品では間に合わないほど需要が増えたため、商品としての専用植木鉢が作られたと考えられています。
 広島城跡法務総合庁舎地点からは、多数の植木鉢が出土しました。半胴甕
(はんどうがめ)と呼ばれる筒形の甕を植木鉢に転用したものや、磁器製の高価な染付や陶器製の植木鉢などがあり、大きさも大小様々です。江戸の園芸文化が地方へも波及していたことがうかがえます。
【写真右:半胴甕の底に穴をあけて植木鉢に転用した出土品】


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