市指定重要無形民俗文化財
江波の漕ぎ伝馬(えばのこぎてんま/えばのこぎでんま)
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名称 江波の漕ぎ伝馬(えばのこぎてんま/えばのこぎでんま)
指定年月日 平成8年5月27日
所在地 中区江波南一丁目 江波漕伝馬保存会

 厳島神社の管絃祭は、旧暦6月17日の大潮の日に開催されます。江波の漕ぎ伝馬は、呉市阿賀の船2艘と共に管絃祭の御座船を曳いています。
 
 江波の漕ぎ伝馬は、管絃祭の前日の朝、本川をさかのぼります。弘化年間(1844〜48)ころに本川橋の西岸にあった両替商で穀物問屋の
満足屋森川調右衛門の船を、江波の漕ぎ伝馬が救助し、その際助けられた森川家から過分の謝礼があり、その返礼として管絃祭の前日に本川を上り、森川家の屋敷の前で漕ぎ伝馬を左回りに三回廻した後、宮島へ向かうことが毎年の慣例になったことによるといわれています。

 伝馬船は、「明神丸」といい、全長13.40メートル、最大幅2.53メートルあります。江波の漕ぎ伝馬は広島市内に現存する唯一の木造伝馬船で、近世における広島城下町の外港としての江波の海運の盛況を垣間見ることができます。

 右舷は「廻(まわ)し方」、左舷は「控(ひかえ)」と呼ばれ、「廻し方」、「控」にそれぞれ長さ3.44メートルの小櫂が7挺あり、合計14挺の櫂があります。各櫂と船の接合部分にはカイビキという棕櫚(しゅろ)縄が取り付けられていて櫂を漕ぐときに独特の音を出します。左舷後部には、舵としての役目をあわせもつ長さ5.51メートルの大櫂が一挺あります。この大櫂が船を廻すために重要な役割をはたしています。

 漕ぎ手は、紅白の市松模様の法被に白足袋と手甲・脚絆に笠、役員は帷子に黒足袋とカンカン帽という出で立ちです。戦前までは、満20歳の江波の若者が漕ぎ手で、一生の内一度しか漕ぎ伝馬を漕ぐ機会がなく、漕ぎ手に選ばれることは大変名誉なことでした。現在でもその年に20歳となる江波の若者を中心に漕ぎ手となる伝統は受け継がれています。

 漕ぎ伝馬には、漕ぎ手のほかに菰樽の上に登り、調子をとる釆振りがいます。また、太鼓を叩いたり、音頭出しを行う保存会の役員等も乗船します。漕ぎ伝馬を漕ぐ際には、漕ぎ手全員の息が合わないとうまく操船ができないため、漕ぎ手は釆振りの振る棒と音頭出しの唄う音頭によって調子を取りながら櫂を漕ぎます。

「広島市の無形の伝統文化財」広島市教育委員会編より一部加筆・文体変更。
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