市指定重要有形文化財
広島城下絵屏風(ひろしまじょうかえびょうぶ)
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(左隻)秋と冬の風景。右側中央に広島城が見える。
名称 広島城下絵屏風(ひろしまじょうかえびょうぶ)
六曲 一双
指定年月日 昭和46年7月5日
概要 高さ170cm、幅368cm
所在地 南区宇晶御幸二丁目6-20 広島市
(広島市郷土資料館保管)

歴史資料としての絵画

 わたしたちが郷土の過去の様子を知るためには、古文書、古地図などの書籍、典籍類、その当時の人々が使用した道具類、あるいは発掘調査によって得られる資料など、多くのものを参考にすることができます。その中でも、当時の人々の姿、様子を目で見ることができるものに、古い絵図や風俗画などがあります。これらの絵画類は、必ずしもその時代の様子を記録することを目的としたものではありません。しかし、はからずも現代に生きるわたしたちに、当時の人々の姿を生き生きと見せてくれる記録となっています。その意味で、このような絵画類は、美術的にはもちろん、歴史を知るための資料としても大変貴重なものです。
 しかし、残念ながらこのような絵画類は、広島にはほとんど残っていません。その中で、この広島城下絵屏風は、江戸時代の城下町広島の様子を知ることができる、数少ない資料のひとつです。

克明に描き出された城下町広島

 この屏風は、江戸時代中期の文化年間(1804〜1807)の頃に描かれたと推定されています。作者や由来は明らかではありませんが、町を東西につらぬく西国街道を中心に、城下町広島の様子が克明に描かれています。城下町としての広島は、天正17年(1589)毛利輝元によって、その建設が始められました。その後、福島氏、浅野氏と城主が替わりましたが、歴代の城主は、いずれも城下町の形成に力を注いでいます。毛利氏による広島城築城の頃は、現在の平和大通りのあたりに海岸線がありましたが、干拓によって次第に沖合へ新開地を造っていき、市街地も拡張されました。このようなことは、古絵図や文献などからある程度わかりますが、その当時の城下町の家屋、商家や人々の生活の様子を、目の当りに見ることができる資料はほとんど残っていません。その意味で江戸時代の後半とはいえ、城下町の様子を克明に伝える絵屏風は、大変貴重なものです。

生き生きと伝える当時の生活

  絵屏風には、城下の本通りであった西国街道の、猿猴橋から天満橋に至るまでの様子が、東から春夏秋冬にわけて描写されています。詳細に見ていくと、京橋町、橋本町、石見屋町、山口町、東引御堂町、胡町、堀川町、平田屋町、播磨屋町、革屋町、横町、中島本町、塚本町、堺町などには、商家がずらりと立ち並んでおり、そこには魚屋、骨董屋、だんご屋、畳屋、紙屋など、現在でもなじみのある店が多く見られます。中には、「傘屋」のように、店先で実際に傘を作っている様子を描いているものもあります。
 これらの商家は、屏風の中央よりも下側に描かれ、その上には、武家屋敷が並んでいる様子が見えます。また、従者を従え馬に乗って行く武士の姿、振売りの姿、遊んでいる子どもの姿や、店先で商う人の姿などもていねいに描写され、当時の人々の生活の様子を生き生きと表しています。

「広島市の文化財」広島市教育委員会編より。
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