県史跡 熊谷氏の遺跡(くまがいしのいせき) |
(▲伊勢が坪城跡) |
熊谷氏は、武蔵国熊谷郷(埼玉県熊谷市)から移り住んだ一族で、源平合戦で勇名をはせた熊谷直実の子孫にあたります。直実の孫である直国は、承久の乱(1221)の時に近江国勢多(滋賀県)で討ち死にし、その功によって鎌倉幕府から、その子直時に三入荘の地頭職が与えられたのです。 三入荘は、現在の大林、桐原、上町屋、下町屋一帯にわたる荘園でした。直時は貞応元年(1222)に、ここへ入り、最初大林に伊勢が坪城を築いて本拠としましたが、後には熊谷氏の本拠は高松山城に移されました。 地頭職についた熊谷氏は、長く安芸国守護の武田氏と深い結び付きを保っていましたが、大内氏のすすめや毛利氏の積極的な働きかけの結果、遅くとも天文2年(1533)頃には武田氏を離れ、毛利氏に服属しました。以来、終始毛利氏のために活躍し、毛利氏興隆の柱となります。 後に毛利氏は関が原の合戦(1600)に敗れ、長門国萩(山口県萩市)に移封されますが、熊谷氏もこれに従い、共に萩へ移りました。 |
2.高松城跡(たかまつじょうせき) 3.土居屋敷跡(どいやしきあと) 4.菩提所観音寺跡(ぼだいしょかんのんじあと) |
「広島市の文化財」広島市教育委員会編より。 |
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