県重要文化財 三瀧寺多宝塔(みたきでらたほうとう) |
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三瀧寺の境内は、その名の由来ともなった三つの滝が瀬音を響かせ、深山幽谷の趣きも深く、市民の憩いの場となっています。多宝塔は、三瀧寺に登る参道右手の丘の上にありますが、朱塗りの建物が周囲の木々に映えて非常に美しいものです。 もともと多宝塔は、円筒形の塔身に方形の屋根をかけ、裳階をつけたものでしたが、やがて下層は方形、上層は円形という現在の形になりました。上層にある丸い亀腹に、古い塔身の名残を残しています。 三瀧寺の多宝塔は、もともと和歌山県の広八幡神社の境内に建立されていたものを原爆犠牲者の供養のため、昭和26年広島に移築したものです。搭の心柱には「大永六年法界衆生の為、之を建つ」と記されていると言われ、この多宝塔が室町時代に造られたことがわかります。蟇股や下層の四隅の柱などに、室町時代の儀式をよく残しています。 この搭が造られた大永年間(1521〜1528)頃は、ちょうど戦国時代にあたり、日本国中が戦乱に明け暮れていた時代でした。和歌山県は、京都や大坂に近いこともあって、戦乱も一段と激しかったことでしょう。こうした時代に、この多宝塔を建てた人々の信仰心とは、どんなものだったのでしょう。 |
「広島市の文化財」広島市教育委員会編より。 |
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