市指定重要有形文化財 馬印(うまじるし) |
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馬印は「馬験」とも書き、戦場において武将のいる所を示すために作られたものです。長い柄の先に目立つ飾り物をつけ、これを大将の馬前や馬のそばで従者が持って、目印としていました。 馬印は戦法の変化にともなって登場したものです。もともと日本の武士の戦い方は、一騎討ちを主体とした個人戦闘が主でした。ところが鎌倉時代の元寇の時、元軍の集団戦法にさんざん苦しめられたことをきっかけに戦闘法が変わってきたと言います。特に戦国時代に入り、織田信長が活躍する頃になると野戦が多くなり、鉄砲や長槍の足軽隊を中心とする集団戦法が主となってきました。 野戦では、いかに群兵を動かすかが重要な勝敗の決め手になります。そこで本陣の位置、大将の居所を明示し、群兵を動かす目当てをはっきりさせることが必要となってきました。こうした状況の中で、さまざまな指物(*)とともに馬印が作られるようになったのでしょう。 いずれにしても馬印は目立つことが大切でしたから、武将たちはそれぞれ工夫をこらしていたようです。たとえば織田信長の升形に金の切裂、豊臣秀吉のひょうたんに金の切裂、徳川家康の七本骨の金の開き扇などが有名です。 この馬印は、浅野幸長が朝鮮侵略の際に使用したものと言われています。銃痕も残っており、合戦の激しさを生々しく伝えています。 *戦場での目標とした小旗、または飾りのつくりもの |
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