県史跡
矢野城跡(やのじょうせき)
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名称 矢野城跡(やのじょうせき)
指定年月日 昭和12年5月28日
所在地 安芸区矢野町遠望谷ほか 発喜山中腹

 三入荘の一部(三入新庄)を支配していた熊谷蓮覚(くまがいれんかく)が、南北朝時代の初期に築城したものです。
 鎌倉幕府を倒した後、後醍醐天皇は公家中心の政治を行ったため、倒幕に参加した武士たちはこれを不満とし、建武2年(1335)足利尊氏が中心となって新政府に反旗をひるがえしました。彼の誘いに応じ、安芸国では守護武田氏のもとに毛利、吉川、熊谷などの有力な豪族が集まり、東上する体制を整えました。これに対し、熊谷蓮覚は公家方に味方して矢野城を築き、武田方と激戦を繰り広げました。
 蓮覚が矢野に築城したのは、このあたりが後醍醐天皇に関係の深い荘園で、また山陽道に近く、広島湾への出入りを見張ることができる要所でもあり、東上する武田勢を撃つのに適していたためでしょう。
 この戦いに蓮覚が敗れた後、文安2年(1445)に尾張国野間荘(愛知県)から野間氏が城に入ります。しかし、大内氏と結び付きながら勢力を広げた野間氏も、弘治元年(1555)、毛利氏に滅ぼされてしまいます。
 矢野城は現在、発喜(ほき)山(標高465.9m)の山頂付近、野間神社付近、尾根上などに計16の郭が残っています。

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「広島市の文化財」広島市教育委員会編より。
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