国指定重要有形民俗文化財 湯ノ山明神旧湯治場(ゆのやまみょうじんきゅうとうじば) |
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◆概要 寛延元年(1748)湯之守神として明神社殿を建立しました。寛延2年(1749)には入湯者が増し、湯宿37軒が建ち繁盛しました。また広島藩が湯所役人を任命し、翌年には明神社の再建と湯治場を建造しました。この年、藩主吉長公が社参、鉄灯篭・金幣を寄進しています。宝暦元年(1751)にも吉長公が社参・入湯。以後広島藩の湯治場となっています。 藩儒堀正脩の「霊泉記」によると、「寛延元年各地から入湯霊験顕著、約7800名を越す」との記述があります。旧来の湯治場、湯之山明神社の諸施設が当時の姿をよく伝えています。 ●史実資料 国学者渡辺正任の「水内紀行」 、藩儒堀正脩の「霊泉記」、藩絵師岡岷山の「都志見往来日記・諸勝図」、芸藩通志「湯山神社・霊泉」等に史実が記されています。 |
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「湯来町の文化財めぐり」湯来町教育委員会編より一部加筆、文体変更。 |
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